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2011年11月20日日曜日

時実新子を読む 「川柳界の与謝野晶子」



定年になった時から身体が動かなくなっても何か楽しみながらできることを見つけたいと文芸的なものをを考えて、俳句や川柳を考えていました。
俳句は森村誠一氏の提唱されている写真俳句というのを見つけました。
しかし写真は家の中で寝っころがって撮れる物は少なくて身体が動かなくなってからは無理だなと考えていました。

川柳なら新聞記事やTVニュースを見て世相の中からとか家庭生活のなかから材料を見つけ出して創作することができるのではないかと考えて幾つか川柳の本を読んで見つけたのが時実新子という川柳作家です。川柳界の与謝野晶子と言われている人です。笑い、風刺、時事が川柳なのだと思っていたのがこの人の川柳を詠んでひっくり返されてしまいました。
川柳のような短い中に劇的世界を描くことができ見事にそれをしている人がいたのです。 私のような者にはとても無理だと知りました。読むだけにして又別なものをさがさなくては。

ネットの中で見つけたどなたが書かれたものか分かりませんが紹介を引用しておきます。

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時実新子は川柳界に風を起こして、2007年3月78歳をもって亡くなりました。
17歳で親が決めた商家に嫁ぎ、25歳頃から川柳を作り始めた時実新子が、主婦・母としての人生の辛酸を嘗めながら、ひとたび川柳を知ってから、唯一の自己表現としてひたむきに打ち込んだのでした。
川柳というと、一般に笑い、風刺、時事などを連想し勝ちですが、その軽妙さを保ちながら、一段低い文芸と誤 解されていた川柳に、本来の人間川柳を求めて、気品を添えてきた現代川柳家たちがいました。その中で、新子川柳は表現の美しさもありますが、私はむしろた てまえでなく、その生き様をさらけ出して、吐くように仕立てた川柳に魅力を感じました。
「江戸時代に生まれた川柳は大きな民族財産である」という、作家の田辺聖子は、新子追悼の言葉として、「1987年に刊行された【有夫恋】は、新子の代表作で、まどろみ深き柳壇を震撼させた」としています。


1987年発表の句集「有夫恋」から

 流れつつ美しい日がまれにある

 君は日の子われは月の子かおあげよ

 姉妹で母をそそりし海が見え

 明日逢える人の如くに別れたし

 入っています入っていますこの世です

 何だ何だと大きな月が昇りくる

手の蛍握りつぶせば死ぬけれど
 
投げられた茶碗を拾う私を拾う

 ガム幾万吐き捨てられて沖縄よ

ののしりの果ての身重ね 昼の闇

 死に顔のうつくしさなどなんとしょう
  
女たり乳房に風をはらむとき
 
この家の子を生み柱光らせて

倖せを言われ言訳せずにおき

まだまだ作品を紹介したいのですが時実新子の川柳大学というホームページがありますのでそちらをご覧ください。
新子の川柳大学

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