よもやま話と家族のこと。おかいさんのブログです。 動画はクリックすれば再生します。 写真は大きくなります。

2013年9月1日日曜日

こんな死に方もある。平穏死とは?

この本を見つけたのはNHKのハートネットTVという番組でホームレスの事をしていてその中で大阪駅前で「炊き出しと掃除をする会」と言う名が出てきてそのホームページを見ているとホームレスの人達に医療をと言うボランティアをしている筆者のブログの中で筆者が日本尊厳死協会の副理事長で神戸の震災に遭い東日本の大震災の被害者を支援しているとか書いてありました。そして何よりも尼崎のお医者さんだという事で急に親近感が出てこの本を買いました。

母親を87歳父親を92歳で見送った5年前から死というものを考えるようになりました。しかしそれほど現実的に自分が考えなければとは思っていませんでした。
それよりも色々な事情で介護と言うものの方が真剣に考え ていました。
僕の母親は82歳くらいから認知症で親父が5年ほど介護をしておりました。記憶障害だけで周辺症状が無くお医者さんからはお父さんが本人の事をよく理解して立派な介護をしているからだとほめられていました。
正月の三日朝方5時にトイレに起きて脳出血で倒れました。すぐに救急車を呼んで病院へ行きましたが病院に着いたときには意識がなく手術をしますかと問われたけれど親父は可哀想だからやめてくれと言いました。僕も賛成しました。1ヶ月して胃ろうをしますかと言われましたがもういいですと断り近くの病院を紹介されて3ヶ月で他界しました。倒れた直後「頭が痛い」と言っただけで意識不明のまま逝きました。それほど苦しんだ姿は見ていません。

母親が他界したのが5月のはじめ、その後も元気な親父はミシンを買ってくれと言うのでどうしてと聞くと繕い物するからというのです。お袋が生きていた時は買い物も食事の用意も全て親父がしていたのですがさすがに一人になるとやる気が無くなって配食サービスを頼むようになりましたが味付けがまずいしご飯が硬いと言ってました。それまでに膀胱癌が見つかって月に一度抗がん剤の注射を打ちに病院へ車で連れて行ってましたがそれでも元気だったのが10月になって腎臓癌が見つかりました。今考えると転移したようです。

92歳になって腎臓癌になっても治療はしてもらえず様子を見るという事でしたが 11月になって痛みを訴えるようになり麻薬を処方されましたが入院はさせてもらえませんでした。
しかし家で麻薬を服用しただけでは傷みは治まらず全く夜も眠れないので近くの病院に相方が頼み込んで入院させてもらいました。

しかしこの本に書いてある平穏死の条件である緩和ケアはどこででも出来るという事ではないのでしょう。苦しみ通しで2週間後に無くなりました。延命治療の苦しみはさせなかったけれど緩和ケアを施す事ができなかったのが悔やまれます。

私の両親も相方の両親も無駄な延命治療で苦しむ事はなかったけれど世間では延命治療で本人も家族も苦しんでいる人が非常に多いそうです。
この本の筆者は平穏死というものを勧めています。延命治療という治療のようで治療でないものを拒否して人間らしく家族に見守られて平穏な死をと呼びかけています。

今相方や子供達にも読んでもらっています。

延命治療を拒否するより末期癌の痛みを抑える緩和ケアをしてくれる病院や在宅でそれをしてくれる医者はまだ少なそうでそれを見つけるのが難しそうでこれから探してみようと思っています。見つけられれば又書いておきます。

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